第10回 明細書の登場 ― 1711年のナズミスの特許と公開義務の始まり

知財の歴史

はじめに

 現在、日本をはじめ、多くの国では特許を出願する際には、発明の内容を詳細に記述した明細書の提出が必要です。

 しかし、17世紀末の名誉革命後の法の支配下での特許制度において、明細書はまだありませんでした。一方、特許の申請も増加し、裁判所での侵害訴訟の場において特許の権利範囲が争われる機会が増えてきました。こうした動きの中、発明の内容を詳細に示すことが求められてきました。明細書の登場です。

 今回は、この明細書が求められるきっかけとなったナズミスの特許(1711年)を見ていきます。

背景

 1688年の名誉革命後、法の支配下での特許制度が運用されることになりました。当時の特許状には発明者の名称や簡単な説明が記載されるのみで、詳細な技術内容は公開されませんでした。このため、特許発明において具体的にどの部分が新しい工夫なのか第三者には不明となっていました。

 また、かつてエリザベス1世などが「王の特権」として特許を濫用していた経緯から、英国国民は、特定の者に専売権を与えることに対して非常に敏感で批判的でした。具体的には、「この特許は本当に新しい発明なのか?」「ただの既得権益ではないのか?」という疑念が常にありました。

 18世紀に入り、英国では産業が活発化し、類似した発明が次々と現れるようになりました。これまでの特許状の記載では発明の概要が書いてある程度なので、「どこまでがその人の新規の発明で、どこからが従来の技術なのか」といった特許の権利範囲が判別できず、特許を侵害するか否かについて、裁判所での紛争が増えていました。

 特許紛争が裁判所に持ち込まれる機会が増えたことは、特許が単なる「王の恩恵」ではなく、法廷で解釈される「法的権利」として扱われ始めたことを意味していました。

ナズミスの特許における法務総裁の判断

 当時の法務総裁(Attorney General)であったエドワード・ノートン(Edward Northey)は、特許の権利範囲を文章で確定させることで法的な争いを減らそうと考えました。

 ノートンは、1711年10月3日、英国の薬剤師ジョン・ナズミス(John Nasmith)の「糖蜜等からの蒸留酒の調整法」についての特許申請に対し、発明の詳細な記述を求めました。

 具体的には、特許付与の条件として「発明の内容を正確に記述し、文書化したものを、しかるべき公的機関(大法官府)に登録せよ。さもなければ、この特許は無効とする」という趣旨の条項が特許状に明記されました。これは、明細書提出を特許付与の条件として明確に位置付けた重要な事例の一つとされています。

明細書提出の効果

 明細書の提出を求めることにより、英国の特許制度は以下の意味合いを持つようになりました。

発明の公開 (教えの義務化)

 特許は単なる専売権ではなく、「技術を公開して社会に貢献すること」を条件とする制度であるという現代的な考え方が生まれました。

訴訟の基準

 後の特許訴訟において、「明細書の記述が不十分で、他人が再現できない」ことが特許を無効にするための強力な根拠となりました。これは後に「実施可能要件」や「十分開示要件」として理論化されるようになります。

明細書提出と社会契約

 以上で述べたナズミスの特許に端を発する明細書提出の要請は、特許の性質を「特権」から「社会への交換関係」へと解釈する理論的基盤を与えました。これは「公開代償説 (Quid Pro Quo) 」と呼ばれ、以下の3つの観点から社会契約上の意義を持ちます。

王の裁量」から「対価」への転換

 それまでの特許は、国王が付与する「特権」でした。しかし、明細書の提出が求められたことで、特許は発明者と社会 (国家) との間の「双務的な契約」へと変わりました。発明者は、技術を社会に公開する義務を負い、社会 (国家) は、公開の対価として一定期間の「独占権」を付与して発明を保護する義務を負うことになります。まさに、現代特許法の「新規発明の公開代償としての独占排他権」という制度趣旨の萌芽が見られます。

社会全体の技術的蓄積の保証

 明細書が大法官府に登録・保管されることで、発明が公開され、社会の共有財産となりました。これにより、特許期間が終了した後、誰もが明細書を見てその技術を再現できるようになり、発明者の死と共に技術が失われるリスク(技術の断絶)を防ぎ、人類全体の知識ベースを底上げする仕組みが成立しました。

 まさに、「発明の利用を図ることにより、産業の発達に寄与する」という現在の特許法の法目的に相当します。

公正な競争と第三者の予測可能性

 明細書によって権利の範囲が文章で定義されることとなりましたが、これは社会契約における「法の支配」を強化しました。

 明細書を見ることによって、競合他社は「何が侵害になるのか、ならないのか」を予め知ることができます。これにより、根拠のない独占による産業の停滞を防ぎ、既存技術を回避した「更なる改良 (イノベーション) 」を促すという、社会全体の利益に資する競争環境が整いました。

 もっとも、この段階では、特許が無効かどうかを最終的に判断する主体は、なお王権側 (枢密院) に残されていました。

結び

 一人の法務総裁の判断により、明細書の提出が求められるようになりました。これは、特許制度を「王の裁量」から「社会契約」へと移行させるという大きな変化をもたらしました。

 これにより、特許制度は「一部の人間を豊かにする制度」から、「知を公開することで社会全体の産業を活性化させるシステム」へと再定義されました。

 この「公開代償」の考え方は、18世紀以降の経済思想とも共鳴しながら発展し、後の各国特許法や国際条約へと受け継がれていくことになります。

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