はじめに
世界で最初に成文化された特許法は、1474年にベネチア共和国で制定された「発明者条例」(Venetian Patent Statute)でした。(「第1回 世界最古の特許法は、なぜ15世紀ベネチアで生まれたのか」)
その後、1624年に英国で制定された「専売条例」(Statute of Monopolies)が近代特許法の基礎となります。
しかし、英国ではそれ以前から、国王大権に基づく特許状(Letters Patent)の付与が行われていました。本稿では、その成文化以前の特許の実態を歴史的背景とともに見ていきます。
背景
15世紀のイングランドでは、ランカスター朝のヘンリー6世が王位に就いていました。当時は百年戦争(1337–1453)の終盤から終結期にあたり、封建勢力の動揺の中で王権が経済政策に関与する場面が増えていきました。
イングランドは毛織物産業などに強みを持っていましたが、一部の先端工芸技術では大陸諸国に後れをとっていました。そのため、外国から高度な技術を導入することが求められていました。
しかし、国内では商工業者組合であるギルドが既得権を持ち、外来の職人が自由に営業することは容易ではありませんでした。
こうした状況の中、ヘンリー6世はイートン・カレッジの建設を進めており、そこに高品質なステンドグラスを設置する計画がありました。
特許制度の始まり
高度なステンドグラスの制作には、大陸の先進技術が必要でした。そこで国王は、外国の職人を招聘し、その技術導入を促進するために特許状(Letters Patent)を与えました。
Letters Patentとは、「公開された王の文書」を意味し、封緘された私的文書(Letters Close)と区別されます。これは国王が公然と特定の者に権利や特権を与える形式でした。
1449年、現在のベルギーにあたるフランドル地方出身のガラス職人ジョン・オブ・ウティナム(John of Utynam)に、カラーガラス製造に関する20年間の専売権が付与されました。
この特許状には、ウティナムがイングランド人の弟子に技術を伝授することが条件として課されていました。
この事例は、イングランドにおける発明特許の最古の記録とされています。ただし、まだ法制度として整備されたものではなく、国王の恩典として個別に付与されたものでした。
特許制度の効果
王室にとっては、外国の高度技術を国内に導入できるという利点がありました。
一方、ウティナムにとっては、一定期間、カラーガラス製造について排他的営業権を得られるという利益がありました。
このように、当初の特許は「国内産業育成のための政策的手段」として機能していました。
その後の展開
しかし時代が下ると、王室は財政収入を得る目的で、新規技術に限らず日用品などにも特許状を付与するようになりました。
その結果、特許の濫発が生じ、社会的な反発を招くことになります。これが後に1624年の「専売条例」制定へとつながっていきます。
結び
英国では、外国からの技術導入を目的として特許状が活用されました。一方、ほぼ同時期に特許法を制定したベネチア共和国は、技術の海外流出防止を目的としていました。
同じく排他的権利を付与する制度であっても、一方は「技術の導入」、他方は「技術の流出防止」という対照的な政策目的を持っていた点は、非常に興味深いところです。
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