はじめに
知的財産権の中の、工業所有権の中には、特許権、実用新案権、意匠権、商標権の4つの権利があります。
この中で、特許制度については、15世紀のヴェネツィア共和国で発明に対する特権が付与され、1474年には世界最古の成文特許法とされる「発明者条例」が制定されたことが、近代的な特許制度の源流とされています。 (参考記事:「第1回 世界最古の特許法は、なぜ15世紀ベネチアで生まれたのか」)
では、意匠権については、いつどこで保護制度が始まったのでしょうか?今回は、意匠の保護の源流について見ていきます。
意匠保護の源流
特許庁の「産業財産権制度の歴史」によると、意匠制度の歴史の始まりとして、「1580年、フィレンツェの織物組合の規則では、新規の意匠考案者には、2年間これを占有権利を付与することとしていました。」とあります。
つまり、今日の意匠制度につながる意匠保護の先駆的な仕組みは、1580年のフィレンツェで既に見られたことになります。この頃、日本は安土桃山時代で、本能寺の変が起こる2年前でした。
フィレンツェの意匠保護の背景
当時のフィレンツェでは、毛織物や絹織物などの繊維産業が重要な産業となっていました。高級な織物や衣服は国内外で取引され、その模様や図案そのものにも商品価値が生じていたと考えられます。
新しい図案を考案しても、すぐに他者に模倣されてしまえば、考案者が新しいデザインを生み出す動機が失われかねません。
また、当時のフィレンツェは、アルテ (Arte) と呼ばれる同業者組合 (ギルド) が、国家を動かすほどの強大な権力を持っていました。
アルテは、1580年に織物組合の規則として、2年間の意匠の占有権利を付与することを定めました。
これは、国家が制定した法律ではなく、織物組合という同業者組織の内部規則でした。しかし、当時のフィレンツェではギルドが経済・政治の両面で大きな影響力を持っていたことから、このような組合規則も実際の産業活動に強い影響を与えたと考えられます。
なお、アルテ (arte) という言葉は、英語の “art” と同じく、ラテン語の “ars” に由来します。当時の “arte” は、現代の「芸術」だけではなく、技術・技能・工芸なども含む広い意味を持っていました。
英単語でも、この意味は、英語の “artificial”(人工の)や “artifact”(人工物・工芸品)などにも残っています。いずれも「自然そのものではなく、人の技能や手によって作られたもの」という意味につながっています。
意匠保護のその後
意匠の保護は、その後、1711年にフランスのリヨンの執政官が、絹織物業界における図案の保護のために、模倣を禁止する命令を発しました。行政機関による意匠保護の先駆的な命令であり、法制度としての意匠保護の起源とされています。
さらに、1787年に産業革命の進むイギリスで、議会が「麻布・綿製品等の意匠保護条例」を制定しました。これが、意匠の保護について、初めて国レベルでの明確な法律として成立したものとされています。こちらも、織物産業の模倣防止が目的とされています。
なお、この法律による保護期間はわずか2か月でした。流行の移り変わりが速い織物のデザインを対象としていたことを考えると、現代の意匠権とはかなり異なる制度であったことが分かります。
結び
意匠保護の歴史をたどると、1580年のイタリア・フィレンツェ、1711年のフランス・リヨン、1787年のイギリスと、異なる場所・時代で保護の仕組みが発展していきました。そのどれもが織物産業の模倣品の保護が目的であった点が興味深いです。
つまり、意匠制度は、美術作品を守る制度としてではなく、商品としてのデザインを模倣から守る仕組みとして生まれてきたのです。
現代の意匠制度では、模倣を防ぐだけでなく、優れたデザインの創作を奨励し、商品の魅力を高めることで産業の発達につなげるという役割も重視されています。
また、意匠は織物のようなファッションのみならず、産業機器、民生品、表示画像・操作画像、建築物、内装など、幅広く保護の対象となっています。このことから、技術面では特許権、美的外観については意匠権とした多層的な知財保護の戦略も見られるようになってきました。
身の回りのものを見ても、様々なデザインのものが目を楽しませてくれます。これらのものを見て、意匠について思いをはせてみるのも良いかな、と思いました。
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