はじめに
16世紀から17世紀にかけて、イングランドは海上国家として台頭していきました。しかし一方で、度重なる戦争や宮廷の支出により、王室の財政は厳しい状況にありました。また、ヨーロッパ全体で物価が上昇するなど、経済は不安定でした。
こうした財政難に対処するため、国王は特許状を広く発行し、日用品にも専売権を与えるようになりました。その結果、人々の不満が高まり、1601年にはエリザベス1世が「黄金演説」において特許の見直しを約束しました。日本では安土桃山時代から江戸時代へ移る頃の出来事です。
しかし、特許の濫発は完全には止まりませんでした。スチュアート朝に入ると、その傾向はさらに強まります。今回は、議会がどのようにしてこれに対抗し、特許法を制定するに至ったのかを見ていきます。
背景
1603年、エリザベス1世が死去し、スチュアート朝のジェームズ1世が即位しました。ジェームズ1世とその子チャールズ1世は、王は神から直接権力を与えられているとする「王権神授説」を唱え、強い王権を目指しました。
当時のイングランドは、ヨーロッパで続く三十年戦争の影響などもあり、財政は依然として厳しい状況でした。そこで王は、引き続き特許状を販売し、収入を得ようとしました。
特許濫発の影響
スチュアート朝のもとでは、石鹸、塩、ワイン、石炭など生活に欠かせない商品にも専売権が与えられました。
専売権を得た商人は競争相手がいないため、価格を引き上げることができました。その結果、物価は上昇し、市民や商人層(ジェントリ)の不満が高まりました。また、自由な商取引が制限され、経済活動にも悪影響が生じました。
議会の反撃
こうした状況を受け、議会は国王による独占的な特許の濫用を強く批判しました。そして1624年、「専売条例(Statute of Monopolies)」が制定されました。
この法律により、原則として独占的な特許は無効とされました。ただし、「新しい発明」に限り、最長14年間の特許が認められました。これが近代特許制度の出発点とされています。
つまり、専売条例は「特許をなくした法律」ではなく、「濫用された独占を制限し、一定の発明についてのみ特許を認める方向へ整理した法律」でした。
しかしその後も、チャールズ1世は議会との対立を深めていきます。1628年には議会が「権利の請願」を提出し、国王の課税や権限行使を制限しようとしました。こうした対立はやがて内戦へと発展し、1642年に清教徒革命が始まります。
専売条例は、その後の立憲政治へ向かう流れの中で生まれた重要な法律でした。
結び
王の恩恵として始まった特許は、このとき初めて議会によって法律として定められました。ここに、王の権力から法の支配への転換を見ることができます。
もっとも、この時点の特許制度は、まだ現代のように整理された制度ではありませんでした。
その後、英国では産業革命や国際競争の中で、特許制度のあり方がさらに問われていくことになります。
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