はじめに
これまで述べてきたように、15世紀のイングランドで、当時の王であったヘンリー6世が特許状の付与を開始しました。 (「第2回 15世紀イギリスの特許状」)
しかし、イングランドにおける特許状は、その後、大きな問題を抱えることになります。
今回は、特許状がどのような問題を起こし、その問題にどう対処したかを見ていきます。
背景
16世紀のイングランドは、エリザベス1世が王に就いていました。1588年にアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を破り、これまで小国の1つであったイングランドが世界の海上勢力として台頭しつつありました。日本はその頃、安土桃山時代でした。
しかし、スペインとの戦争やアイルランドの反乱鎮圧などによる多額の戦費や、新大陸 (アメリカ大陸) から流入した銀による価格革命(いわゆる物価上昇)により、イングランド王室は深刻な財政難に陥っていました。
一方、財政難に対応すべく増税を図ろうとしても、議会の承認が得られない状況でした。
そこで、王は、議会の承認が不要な「王の大権」を使って、特定の者に特許状を付与する代わりに金銭を得ることで財政難に対処することにしました。
ここでいう「特許」は、現在のような発明保護だけでなく、特定の商品を独占的に売る権利も含んでいました。
王は、利益が得られるかが不透明な新規・高度な発明だけでなく、早期に多額の安定した利益が期待できる日用品にも特許を与えるようになりました。具体的には、塩、石鹸、革、鉄、トランプなどに特許を与えました。こうした専売特許 (monopoly) は、本来の発明保護とは異なる性格を帯び、次第に濫発と批判されるようになりました。
結果
特許濫発の結果、塩や石鹸などの市場に競争がなくなったため、粗悪な品質の商品が流通するとともに、物価の高騰を招きました。このことは庶民の生活を直撃し、不満が爆発する事態となりました。
この結果、1601年11月30日、エリザベス1世は議会で「国民の愛こそが王冠の栄光」と述べ、国民の感謝と信頼を強調するとともに、国民の福祉を最優先する姿勢を示し、特許濫発を見直すことを約束しました。すなわち、不当とみなされる特許については撤回し、司法の判断にゆだねると表明しました。これは、黄金演説(Golden Speech)と呼ばれる演説で、国民の支持を回復しました。
結び
特許が本来の意図を超えて濫発されたことによる国家の混乱により、王権による特権付与の限界が露呈した出来事でした。こうして、特許は王の恩寵から議会の統制へと移行していきます。その転換点となったのが、「専売条例」(1624年)でした。
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